2024/08/03
立場柄かつ職業柄、よく相談をされることがあります。
それが解決プランの相談であれば良いのですが、単に共感をして欲しいとか、理解して欲しいという相談、つまり不平・不満・愚痴の場になることもあります。
そういう場合、原則的に付き合わないと決めてるので、「へぇー」や「暇だね」という毒舌が飛び出してしまいます。
少なからず同じような経験は誰しもあるのではないでしょうか?
場合によっては、それで友達を失った人も居るかもしれません。
それでも、不平・不満・愚痴に付き合わない方が良いのは、不平・不満・愚痴は「事実」より「見方」によって発生してるからです。しかも、その「見方」は非常に伝染力が高いことも看過できません。
よく「見方」の例えとして、「コップ半分も水がある」「コップ半分しか水がない」が用いられます。
全ての人はコップ満杯に水が入ってることはありません。誰もが、もっとコップを水で満たしたいと思うものです。
この時、どうやったら増えるか考え行動したら、水は増えます(増える可能性が高いです)。
一方で、「なんでこんなに少ないんだよ」と自分や他人に言っても、コップの水は増えません。コップの水は増えないのに、不幸な気持ちは増えます。これが不平・不満・愚痴です。
世界はあなたが観たいと思ったものが見える。
みたいなことを、何処かの偉人が言ってた気がしますが、どんな事実も見方ひとつで違う見え方になります。
そして、その見方は、周囲の人々の影響を受けながら日々刻々と変化するのです。
なので、あなたがより良い人生を歩みたいと思えば、良い考え方を学び、悪い考え方を排除することに努めなければいけません。
自分だけでなく、他人も幸せにしたいと願うなら、尚更努めなければいけません。
つまり、不平・不満・愚痴(悪い考え方)と付き合うことは3つのマイナスを産みます。
1.相談者の不幸感を増幅させる
2.自分も不幸な考え方に侵され不幸になる
3.不幸な考え方を人にも伝染し始める
他人の「不平・不満・愚痴に付き合うな」と聞くと、とても冷たく聞こえるかもしれたせんが、ユダヤの教えやナポレオンヒルなど名著と呼ばれる自己啓発本を読めば、大体同じようなことが書いてます。
僕の記憶だと「運が悪い人とは付き合うな」という表現が最も多かった気がします。
一方で、不平・不満・愚痴に付き合わないことと、困ってる人を助けないのは違います。
困ってる人とは、「コップの水が少ないことに共感して欲しい人」ではなく、「自らコップの水を増やすことを支援して欲しい人」を指します。
行動プランがなく、ただただ「大変だね、不幸だね、ツイてないね」と共感して欲しいもの、これは完全なる不平・不満・愚痴です。
行動プランがあるけど、主語が自分ではなく他人のもの、これは中間くらいです。
主語が自分になる行動プラン(最善のプラン)を提示して行動させても良いでしょうし、考え方の転換を促しても良いでしょう。
最後に、行動プランがあり主語が自分になってるものは支援する対象と言えるでしょう。求める支援を聞いたり、想定してる課題に対する解決プランを考えたりして支援しましょう。
逆説的に、自分が不平・不満・愚痴を抱えてしまった時は、他者の共感は解決の助けにならない(むしろ支援者を減らす)ことを肝に銘じ、自分が主語となる解決プランに集中することが大事です。
プランが雑だったとしても、姿勢さえ出来れば支援者は、(厳しい叱責のことも多いが)手を差し伸べてくれるでしょう。
最後に、男性諸君に注意書です。
この考え方は、女性を口説く時には全く役に立たないどころか、逆効果なので、そういう時はこの考え方を使わないことが大事です。