ぢろぐ~馬鹿が日本を元気にする

このブログは、「馬鹿が日本を元気にする」を理念に掲げ、 泣いたり笑ったり、ときおり本気で闘ったりしている、 BNGグループ代表 蔵元二郎の日々をつづる、ちょっと九州男児な日記である

偉大なるビジョナリーカンパニーを目指すために必要な選択

time 2024/02/25

偉大なるビジョナリーカンパニーを目指すために必要な選択

先日。

まだエンジェルラウンドしかしていない若手スタートアップ幹部A君が、同世代のスタートアップコミュニティに参加したときに「資金繰りまで経験してるなんて羨ましい!」と言われたことについて相談してきました。

その同世代君は、3年くらい前に上場したスタートアップに勤めているとのこと。

ゆえにその会社自体、いわゆる資金繰りはしていないだろうし、同世代君自身のプライベートな資金繰りも不要なくらい良い待遇だろう。
(ちなみにA君は20代後半だが、まだ月給25万円でやっている)

A君は、言った。

そんなに資金繰りを経験したいなら、資金調達していないスタートアップに飛び込めば良いのに・・・と。

そもそも資金繰りなんて、羨ましがられるような経験ではない。
たしかに、個人の資金繰りは簡単だ。だから誰も羨ましいなんて言わない。
家賃12万円のオサレマンションから、家賃7万円のアパートに引っ越しをして、オサレランチやめてお弁当にして、オサレディナーを赤提灯に変えるだけだ。

しかし、会社の資金繰りはそんなに甘くない。
社員をアパートに引っ越しさせる権利なんか持ってないし、取引先の方に「明日からはオサレランチやめてください」と言う訳にもいかない。
来月いただくはずの売上を「前金でいただけませんか?」と実績の少ない会社が言うのは、まるで内定者が会社にボーナスを前払いしてもらうようなものだ。

しかもその経験は、順調に会社が成長していけば不要になるスキルだ。
シンドイ割に、未来は必要となくなるスキル、それを経験していることの何が羨ましいのだろう?

僕はA君に伝えた。

資金繰り経験である必要は無いが、大変そうな仕事に全力で立ち向かうことは、いずれ会社がブレイクスルーを目指すときに必ず役に立つ。

上場スタートアップに所属していても、修羅場と呼べるような挑戦の機会はあるはずだ。

修羅場経験は、役に立つ。

特に、ソコソコのスタートアップから、偉大なるビジョナリーカンパニーを目指すときには役に立つ。

 

ほとんどの会社が素敵なビジョンを掲げている。

教育に革命を起こすとか、必要な人に必要な医療が届く社会を作るとか、、、、

しかし、自社が掲げているビジョンを、満足いくレベルで実現している会社がほとんど無い。

ようやく手応えを感じ始めている、ちょっとは貢献できている、改革の一角を担っている自負はある、つまり30点とか60点とかの状態のはずだ。

そこから真にビジョンの実現を目指すということは、「現在のまあまあ安定的な日々」に満足しないで、「多くの失敗を伴う不確実性の高い挑戦をする」ということだ。

このとき挑戦を邪魔する最大の壁が「現在のまあまあ安定的な日々」なのだ。

 


 

「多くの失敗を伴う不確実性の高い挑戦」は、まあまあ上手くいかない。痛みも伴う。

場合によっては経営陣で対立もする。

「そんなことやって上手くいくと思っているのか?出来っこないだろう」

「簡単に上手くいかないことは承知の上だ、しかし僕たちは何のために存在するのだ?」

なんて対立が始まる。

ときには、自分のなかの天使と悪魔みたいに、一人の人間の心の中で対立が起きるかもしれない。

もし、偉大なるビジョナリーカンパニーを目指すのであれば、この対立に打ち勝って「多くの失敗を伴う不確実性の高い挑戦」を選択しなければいけない。ただし、挑戦を選択したからといって、成功する保証はどこにもない。

もし、偉大なるビジョナリーカンパニーを目指す意欲がないのであれば「現在のまあまあ安定的な日々」を選択して構わない。ただし、週刊少年ジャンプのようなエキサイティングな人生を求める権利を放棄したことは自覚しておいたほうが良い。


 

では、どうしてこの違いが生まれるのか?

ここでA君の資金繰り経験が生きてくる。正確には資金繰り経験ではなく、修羅場経験だ。

 

違いが生まれる理由は「痛みへの耐性」だ。

おそらくA君のように痛みを乗り越えた、耐え抜いた経験がある人は、上手くいかないことへの恐れが少ない。

うまくいかなかったときは、以前のように再び耐え忍び乗り越えれば良いだけのことと思える。

 

しかし、修羅場経験が十分にない人は、上手くいかなかった場合の妄想を、実際以上に大きく見積もる。

例えるなら、摂氏60度のお湯に手を入れることのように。熱いと言えば熱いが、笑えるくらいの熱さであり、怯えるほどの熱さではない。

 


 

ちなみに、修羅場経験が無いことは、決して悪ではない。

それは生き方だ。

長い長い人生で、修羅場を迎えずにいけたら、それはそれで素敵だと思うし、逃げるというのは生物としては正しい判断だとも言える。

ただ損をすることがあるとしたら、修羅場を経験していないと「必要以上に恐れてしまう」ことだろう。

例えば僕は、イタリアで、到着1時間でパスポート含め全財産を盗まれたことがある。乗り越えた経験があるので、もし再び、メキシコで全財産を盗まれたとしても、比較的冷静で居れると思う。

逆に、海で鮫と戦った経験は無いので、鮫が出そうな海では必要以上に怯えて、楽しむことができないかもしれない。実際には、人を襲う鮫なんて数種類しかいないのに。

 

個人的には、眼前に修羅場があって、選択する資格があるのであれば、おそらく大した修羅場ではないだろうから選択したほうが良いと思う。

乗り越えられない試練を神は与えないと言うように、もしそれが致命的な選択であったら周囲が必死で止めてくれるはずだ。

きっと「経験してないから必要以上に恐れている」ゆえに修羅場に見えるだけで、本当はちょっとした試練くらいなんじゃないかと思って挑むくらいでちょうど良いと思う。

 

A君が死なない程度に修羅場を経験して、偉大なるビジョナリーカンパニーを目指し続けてくれることを願っている。

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プロフィール

蔵元ぢろ

蔵元ぢろ

鹿児島県出身。九州大学卒業後、大手金融機関にて採用・経営企画に携わった後に、ベンチャー企業にて新規事業の立ち上げに従事。 で、いろいろ経て。27歳で、ジェイブレインという会社を創りましたとさ。 34歳でBNGパートナーズを起業しましたとさ。気が付けば7社くらいのBNGグループになりましたとさ。つづく。